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2010年8月4日水曜日

『美神肖像 VOL.2』 ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU 写真:ジェルメーヌ・クルル:GERMAINE KRULL

 ジェルメーヌ・クルル(Germaine Krull:1897~1985)は、ポーランド(当時のプロイセン)のポズナニ近郊に生まれ、両親はドイツ人。15歳で両親が離婚(この間もイタリアやスイス、フランス他ヨーロッパ各地を一家は移動)。18歳になり初めて公共の教育を受け(それまで父が教え学校へは通わせてもらっていない)、この辺りから彼女の写真活動の始まり(ミュンヘン写真教育研究所にて)。その後も波乱万丈な人生、学生時に共産主義に傾倒しロシアの革命家レヴィットと結婚。しかし、政府からの圧力の下、何とこのレヴィットは彼女を置き去りにして一人逃亡。僅か1年の結婚生活。その後、1922年ミュンヘンに自らのスタジオを構え、ポートレートを撮り始める。この頃、詩人リルケや哲学者ホルクハイマー達が彼女に影響を与えたとされている。

 2度目の結婚はオランダ人の前衛写真家ヨリス・イヴェンス(ドキュメンタリー映画等も撮っていたそうだ)。時はナチスの台頭。1944年フランスにてパリ開放の写真を発表。彼女はアフリカや東南アジア(バンコに20年)にまたしても移動。その間、ダライ・ラマに傾倒し、インドに亡命したチベット仏教徒達と生活。再び1966年にパリに戻り、最初の回顧展を開く。アンドレ・マルローやジャン・コクトーの支援と交友はずっと続いていたという。晩年は病に伏しドイツへと戻る。世界中を、激動の時代を生き抜き、最期は再びドイツに眠るという90年弱の人生はいったい、長かったのだろうか?束の間だったのだろうか?あまりにも壮絶だ。

 私がこの女性写真家の名を知り得たのは、ジャン・コクトー(Jean Cocteau)が好きなので、その一枚の肖像写真に出会った時です。

 (記:2007年5月2日)

2010年6月14日月曜日

『麗人図鑑 VOL.25』 ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU 1949年

繊細な指先を持つコクトーは作家・詩人・画家・映像監督・脚本家・批評家ほか多くの肩書きを並べることが可能な偉大なるお方。夭折の作家レイモン・ラディゲや多くの芸術家たちとの交流。大ファンでもあり親友でもあった世紀の大歌手エディット・ピアフの訃報を知り、その同じ日の4時間後にコクトーも死去された。1963年10月11日、この日はフランスの劇的な悲嘆の一日となったことだろう★

『麗人図鑑 VOL.22』 ジャン・マレー:JEAN MARAIS 1949年

ジャン・コクトーの映像と共にジャン・マレーのギリシャ彫刻の様な容姿は永遠なもの。生と死の世界を虚ろに行き来するギリシャ神話のオルフェウス。ヴィスコンティと共に生きていた頃のヘルムート・バーガー同様、コクトーと共に生きていた頃のジャン・マレーがやっぱり悲しい程に美しい!