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2010年8月4日水曜日

『シネマ蒐集 VOL.5』 フェデリコ・フェリーニの映画『道』について語るアッバス・キアロスタミ監督


「一本の映画を分析するには、どんな能力が必要だろう。あるいは監督の感情や経験を持ち、さらに倫理観、宗教、言語、郷土が同じであればいいのだろうか。現在、過去、未来を結びつける感情と経験は人それぞれ違う。私の好きな映画『道』でのフェリーニは私にとって神だった。これはネオ・リアリズム作品という以上に力強い映画だ。『道』で、フェリーニは人間の喜びと悲しみの偉大な叙情詩、叙事詩を作り上げた。」 - アッバス・キアロスタミ 「ソフィア・ローレンから『甘い生活』まで」より -

道/LA STRADA
1954年・イタリア映画
監督:フェデリコ・フェリーニ 製作:カルロ・ポンティ、ディノ・デ・ラウレンティス 脚本:フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ 撮影:オテッロ・マルテッリ 音楽:ニーノ・ロータ 出演:アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベースハート


『シネマ蒐集 VOL.4』 アラン・レネ監督のドキュメンタリー映画『夜と霧』とV.E.フランクルの手記『夜と霧』


「静かな風景さえも、鳥の飛び交う草原や、刈り入れ時の畑、あるいは緑の燃え盛っている草地でさえも、車が通り、農民や恋人たちが歩いている道さえも、朝市がたち、教会の鐘楼の見えるヴァカンスを過ごす村さえも、ごく簡単に、絶滅収容所に通じているかもしれない。」 by ジャン・ケロール

★レネの要望で実際に収容所に収容された体験のある作家ジャン・ケロールによって、この危険を伴う作業は進められたという。このアウシュビッツの生々しい映像ドキュメンタリーを初めて観た時(とても大きな重い衝撃だった)から随分時が経つけれど、今も甦るのは凄まじい恐怖の歴史と哀しく美しいミシェル・ブーケのこのナレーションの印象。こうして戦争という残虐な罪悪、ホロコースト映画をも見逃すわけにはゆかない。これもまた人間の姿であるのだから。

夜と霧/NUIT ET BROUILLARD
1955年・フランス映画 
監督:アラン・レネ 製作:アナトール・ドーマン 原作・脚本:ジャン・ケロール 撮影:ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニ 音楽:ハンス・アイスラー ナレーション:ミシェル・ブーケ

「この本は、人間の極限悪を強調し、怒りをたたきつけているが、強制収容所で教授が深い、清らかな心を持ち続けたことは、人間が信頼できるということを示してくれた。この怖ろしい書物にくらべては、ダンテの地獄さえ童話的だといえるほどである。しかし私の驚きは、ここに充たされているような極限の悪を人間が行ったことより、かかる悪のどん底に投げ込まれても、人間がかくまで高貴に、自由に、麗わしい心情をもって生き得たかと思うことの方に強くあった。その意味からフランクル教授の手記は現代のヨブ記とも称すべく、まことに詩以上の詩である。」 (野上弥生子氏評より)

2010年7月5日月曜日

『シネマ蒐集 VOL.3』 映画『まぼろし』のマリー役について語るシャーロット・ランプリング



「このマリーの役は、一つの役というよりはこれまでの人生の集大成といったことかもしれません。誰もが通らなければならない道なのです。私の姉は20歳のときに自殺しました。母は姉の死後もずっと姉が生きている如く思い出に生きようとしました。私はといえば、彼女を弔うどころか忘れようとしたのです。でも、死んだ人をいつまでも放してあげないということも問題です。ある時、死後の世界に旅立たせてあげなくてはいけないのではないでしょうか。」by シャーロット・ランプリング

 日本で公開直前のインタビュー記事より。2001年、大阪の今はもう無い小さな映画館で観たもの。観終えた私はお仕事に戻る為に、その帰り道を呆然とフラフラと歩いていたと思う。涙がいつまでも止まらないまま。雑誌の整理をしていたら出てきたこの記事。偶然は有り得ない。当時の私はこのインタビューを繰り返し読んだ。そして、今、ようやくこのお言葉に頷くことが出来るようになった...まだ不安定だけれど、私も両親の死をやっと受け入れる用意ができるところまで。小学生の私をあの視線が釘付けにした。そして今も。特別な思い入れの強いお方。それにしても、素晴らしい作品。オゾン監督を見直した作品であり、ランプリングでなければ!という静かで美しい崩れゆくさま。挿入歌でバルバラのシャンソンも流れる。

 上記の拙文は2006年5月29日に記したものです。それから4年経た今の私も然程当時と変化はないかもしれない。けれど、やはり「死」を受け入れることは難しい。最愛の人ならば一層...。シャーロット・ランプリング!私はまだ11歳か12歳という子供の頃に『愛の嵐』で知ったお方。私の初恋の女優さま。幼い私が強烈な衝撃を受けた...ダーク・ボガードも然り。上手く綴れないけれど、敬愛してやまぬ私の父を想う。自覚はまったく無かったけれど、どうもファザコンであったらしい。そんな自分を言葉に出来るようになったのは、少しばかり成長したのかもしれない。映画『まぼろし』はマリーと同じ50代になった頃、観直すとまた違った想いを抱くのだろうな...とも想う。重く哀切な美しい映画を今はない小さな劇場で観れたあの思い出(空間)は忘れることは無いだろう。

まぼろし/SOUS LE SABLE
2001年・フランス映画 
監督:フランソワ・オゾン 脚本:フランソワ・オゾン、エマニュエル・ベルンエイム、マリナ・ドゥ・ヴァン、マルシア・ロマーノ 撮影:アントワーヌ・エベルレ(第一幕)ジャンヌ・ラポワリー(第二幕)
音楽:フィリップ・ロンビ 出演:シャーロット・ランプリング、ブリュノ・クレメール、ジャック・ノロ、アレクサンドラ・スチュワルト、ピエール・ヴェルニエ、アンドレ・タンジー

2010年6月21日月曜日

『シネマ蒐集 VOL.2』 ペーター・ハントケ 『わらべうた』 ヴィム・ヴェンダース監督の名作『ベルリン・天使の詩』


子供は子供だった頃 
いつも不思議だった
なぜ 僕はここにいて そこにはいない?
時の始まりは いつ?
宇宙の果ては どこ?
この世で生きてるのは ただの夢?
見るもの 聞くもの 嗅ぐものは
この世の前の世の幻?
悪があるって ほんと?
悪い人がいるって ほんと?
いったい どんなだった
僕が僕になる前は?
僕が僕でなくなった後
             いったい僕は 何になる?         

「ベルリン・天使の詩」わらべうた 第2連より
原詞:ペーター・ハントケ

1987年・西ドイツ/フランス合作映画 
監督:ヴィム・ヴェンダース 脚本:ヴィム・ヴェンダース、ペーター・ハントケ
撮影:アンリ・アルカン 音楽:ユルゲン・クニーパー
出演:ブルーノ・ガンツ、オットー・ザンダー、ソルヴェーグ・ドマルタン、クルト・ボウワ、ピーター・フォーク

 ペーター・ハントケ(Peter Handke)はオーストリア出身で現在はフランス在住の作家。ヴィム・ヴェンダース監督とは『ゴールキーパーの不安(1971)』『まわり道(1974)』『ベルリン・天使の詩(1987)』で原作及び脚本を担当しており親交が深かったけれど、ユーゴスラビア紛争でのメディア批判での意見の違い以降は仲がよくないという。自ら監督・脚本の『左利きの女(1977)』ではヴィム・ヴェンダースは製作、ブルーノ・ガンツも出演していました。

2010年6月20日日曜日

『シネマ蒐集 VOL.1』 ルキノ・ヴィスコンティ監督の美少年時代(ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ:LUCHINO VISCONTI DI MODORONE)


 敬愛している大好きなルキノ・ヴィスコンティ監督。その高貴な美少年時代にもまたうっとりなのです♪ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti:1906年11月2日~1976年3月17日)は11世紀から続くミラノの貴族ヴィスコンティ・ディ・モドローネ公爵の四男(7人兄弟の4番目)として生まれる。ヴィスコンティについて、ヴィスコンティの映画は一生愛し続けるであろう、私の敬愛する芸術家であり映画人であり作品たち。オペラの舞台も手掛けておられるけれど、それらもいつの日か観てみたいもの。日本公開された映画は全て拝見できどれも大好き。幸いなことに、劇場の大画面でその多数を体験できたこと、それらの焼きつく映像は永遠☆ヴィスコンティ映画は大好きなお方と苦手なお方に別れるようだけれど、それも納得。私はたまらなく大好き!ネオレアリズモ時代も当然のこと。耽美でデカダンの巨匠との呼称では足りない。”赤い貴族”と呼ばれる由縁は作品群の中でも重要なものとして、問題提起されているとても深いもの。また、”家族”特に”母親”という存在がとても象徴的に描かれることも見逃せないと思う。ヴィスコンティがいなければ私は今、こんなに映画が大好きだったか...と思う程、思春期から今日まで自分では計り知れない影響を受けてきたのだと思う。

 貴族に生まれた男の子は、よくスカートを穿いているので女の子のようで可愛いです。左上のお写真は1920年のルキノ少年(13歳頃)の凛々しくもお美しいお姿にうっとりなのですが、この頃から既に音楽の才能に秀でておられたらしく、以下のような当時の記事が残っている。

昨夜、音楽学校においてチェロを学ぶ三人の学生が、デ・パオリス教授により聴衆に紹介された。彼らは予定された曲目を見事に演じて、その才能のほどを示し、非常な喝采を博した。なかで最も若いルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネはB・マルチェロのソナタを演奏し、アマチュアとは思われぬ技量を示した。(1920年6月8日付のミラノの新聞「ラ・セーラ」より)

お母様と美形揃いのルキノと兄弟たち(1911年)