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2010年6月20日日曜日

『シネマ蒐集 VOL.1』 ルキノ・ヴィスコンティ監督の美少年時代(ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ:LUCHINO VISCONTI DI MODORONE)


 敬愛している大好きなルキノ・ヴィスコンティ監督。その高貴な美少年時代にもまたうっとりなのです♪ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti:1906年11月2日~1976年3月17日)は11世紀から続くミラノの貴族ヴィスコンティ・ディ・モドローネ公爵の四男(7人兄弟の4番目)として生まれる。ヴィスコンティについて、ヴィスコンティの映画は一生愛し続けるであろう、私の敬愛する芸術家であり映画人であり作品たち。オペラの舞台も手掛けておられるけれど、それらもいつの日か観てみたいもの。日本公開された映画は全て拝見できどれも大好き。幸いなことに、劇場の大画面でその多数を体験できたこと、それらの焼きつく映像は永遠☆ヴィスコンティ映画は大好きなお方と苦手なお方に別れるようだけれど、それも納得。私はたまらなく大好き!ネオレアリズモ時代も当然のこと。耽美でデカダンの巨匠との呼称では足りない。”赤い貴族”と呼ばれる由縁は作品群の中でも重要なものとして、問題提起されているとても深いもの。また、”家族”特に”母親”という存在がとても象徴的に描かれることも見逃せないと思う。ヴィスコンティがいなければ私は今、こんなに映画が大好きだったか...と思う程、思春期から今日まで自分では計り知れない影響を受けてきたのだと思う。

 貴族に生まれた男の子は、よくスカートを穿いているので女の子のようで可愛いです。左上のお写真は1920年のルキノ少年(13歳頃)の凛々しくもお美しいお姿にうっとりなのですが、この頃から既に音楽の才能に秀でておられたらしく、以下のような当時の記事が残っている。

昨夜、音楽学校においてチェロを学ぶ三人の学生が、デ・パオリス教授により聴衆に紹介された。彼らは予定された曲目を見事に演じて、その才能のほどを示し、非常な喝采を博した。なかで最も若いルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネはB・マルチェロのソナタを演奏し、アマチュアとは思われぬ技量を示した。(1920年6月8日付のミラノの新聞「ラ・セーラ」より)

お母様と美形揃いのルキノと兄弟たち(1911年)

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