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2010年11月17日水曜日

『麗人図鑑 VOL.33』 デボラ・カー:DEBORAH KERR

スコットランド出身のお方ですが、英国女優というと浮かぶおひとりの美しいデボラ・カー!コミカルな役柄でもどうしても生まれ持った品性ゆえに不思議な感じです。お歳を召されてもその格調高き佇まいは失われることはありませんでした。国際女優なのでハリウッド名画にも多数ご出演。何を観ても美麗です。今の綺麗な女優さま達には無い魅力に想います☆

2010年11月15日月曜日

『女優館』を移行&更新いたします★

『女優館』を『クララの森・少女愛惜』内に移行&更新いたします。子供の頃から「女優さん」が大好きでした。映画雑誌を眺めて古い知らない女優さまの美しいお姿に見とれていました。今も変わりません。鑑賞した(したい)映画はいっぱいで、私の好きな女優さまをピックアップした『女優館』です。まだまだ更新は続きますが、「このお方が出演されていたら観たい!」と思うお方を最低基準のように自分で決めています。なので、好みに偏りもあるかと思いますが、どうぞ宜しくお願いいたします。

2010年8月4日水曜日

『シネマ蒐集 VOL.5』 フェデリコ・フェリーニの映画『道』について語るアッバス・キアロスタミ監督


「一本の映画を分析するには、どんな能力が必要だろう。あるいは監督の感情や経験を持ち、さらに倫理観、宗教、言語、郷土が同じであればいいのだろうか。現在、過去、未来を結びつける感情と経験は人それぞれ違う。私の好きな映画『道』でのフェリーニは私にとって神だった。これはネオ・リアリズム作品という以上に力強い映画だ。『道』で、フェリーニは人間の喜びと悲しみの偉大な叙情詩、叙事詩を作り上げた。」 - アッバス・キアロスタミ 「ソフィア・ローレンから『甘い生活』まで」より -

道/LA STRADA
1954年・イタリア映画
監督:フェデリコ・フェリーニ 製作:カルロ・ポンティ、ディノ・デ・ラウレンティス 脚本:フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ 撮影:オテッロ・マルテッリ 音楽:ニーノ・ロータ 出演:アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベースハート


『シネマ蒐集 VOL.4』 アラン・レネ監督のドキュメンタリー映画『夜と霧』とV.E.フランクルの手記『夜と霧』


「静かな風景さえも、鳥の飛び交う草原や、刈り入れ時の畑、あるいは緑の燃え盛っている草地でさえも、車が通り、農民や恋人たちが歩いている道さえも、朝市がたち、教会の鐘楼の見えるヴァカンスを過ごす村さえも、ごく簡単に、絶滅収容所に通じているかもしれない。」 by ジャン・ケロール

★レネの要望で実際に収容所に収容された体験のある作家ジャン・ケロールによって、この危険を伴う作業は進められたという。このアウシュビッツの生々しい映像ドキュメンタリーを初めて観た時(とても大きな重い衝撃だった)から随分時が経つけれど、今も甦るのは凄まじい恐怖の歴史と哀しく美しいミシェル・ブーケのこのナレーションの印象。こうして戦争という残虐な罪悪、ホロコースト映画をも見逃すわけにはゆかない。これもまた人間の姿であるのだから。

夜と霧/NUIT ET BROUILLARD
1955年・フランス映画 
監督:アラン・レネ 製作:アナトール・ドーマン 原作・脚本:ジャン・ケロール 撮影:ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニ 音楽:ハンス・アイスラー ナレーション:ミシェル・ブーケ

「この本は、人間の極限悪を強調し、怒りをたたきつけているが、強制収容所で教授が深い、清らかな心を持ち続けたことは、人間が信頼できるということを示してくれた。この怖ろしい書物にくらべては、ダンテの地獄さえ童話的だといえるほどである。しかし私の驚きは、ここに充たされているような極限の悪を人間が行ったことより、かかる悪のどん底に投げ込まれても、人間がかくまで高貴に、自由に、麗わしい心情をもって生き得たかと思うことの方に強くあった。その意味からフランクル教授の手記は現代のヨブ記とも称すべく、まことに詩以上の詩である。」 (野上弥生子氏評より)

『夢の宝石箱 VOL.5』 「絵葉書(ポストカード)の起源は19世紀末」


 私がとっても小さな頃、従兄弟のお兄さんが東京に行って来たお土産に頂いたものの中にポストカード・セットと東京タワーの日めくりみたいになったブリキのカレンダーがあった。多分、私の記憶する最も古いポストカードのこと。兵庫ののどかな町で生まれ育った私には、東京は同じ日本でもとても遠い存在と感じていたものだ。仲良しのお友達から頂いたアンティーク・ポストカードやちょこちょこと自分でも買っていた(レプリカものも含めて)、そんな生まれる前の絵葉書がいつの間にかファイルに何冊かとなっている。私はコレクションしてはいないのだけれど眺めるのが好き。ひとつの芸術、文化、通信手段として今も世界中で使われているものなので。

 さて、起源は...と調べてみると実はドイツのようだ(説は他にもあり複雑)。私は大好きなサラ・ベルナールなどの女優さまのポストカードたちやミュシャたちの活動に興味を持つ中で、フランスかイギリスかと思っていた。何事にも起源があり、そこから広く開花し受け継がれていくもの。ドイツの工場の広告用に製造されたのが最古で1888年だそうだ。ベルリンに住むフライリッヒ・フォン・ヘンデルという工場主がお得意様たちに宛てたもの。しかし、その実物は現存しないらしくどんなものだったのかは知る由もない(私製絵葉書のことだと思うのだけれど、どのように異なるのか資料でもその様子が残っていれば...と残念に思うし、よく区別出来ずにいる私)。

 絵入りポストカードとなると、1867年のウィーンのエマヌエル・ヘルマン博士というお方が作り、19世紀末以降フランス(ベル・エポック)や英国(エドワーディアン)で隆盛を極めることになる。その後の戦争が無ければ、もっと現存した多種に渡る素敵で愛らしく面白いものが見れたかもしれない。著名な芸術家たちだけではなく、名も知れぬ人々がどなたかに贈ったものやお祝いに添えたものたちが膨大な数として世界中で往来していたのだと思うと楽しい。

 好きな題材を含むのでまた、時折ポスターなど(映画にも繋がるもの)と共にこの素敵な愛すべき芸術について綴ってみようと思う。日本では明治時代に隆盛を極めたようで、海外の絵葉書の中にはジャポニズムと分類されるものもあるので、欧州と日本の文化がお互いに影響しあった(絵画など芸術全般に言えることだろうけれど)のだという歴史を眺めたりするだけでもとても安堵する。

 (記:2007年6月11日)

『美神肖像 VOL.2』 ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU 写真:ジェルメーヌ・クルル:GERMAINE KRULL

 ジェルメーヌ・クルル(Germaine Krull:1897~1985)は、ポーランド(当時のプロイセン)のポズナニ近郊に生まれ、両親はドイツ人。15歳で両親が離婚(この間もイタリアやスイス、フランス他ヨーロッパ各地を一家は移動)。18歳になり初めて公共の教育を受け(それまで父が教え学校へは通わせてもらっていない)、この辺りから彼女の写真活動の始まり(ミュンヘン写真教育研究所にて)。その後も波乱万丈な人生、学生時に共産主義に傾倒しロシアの革命家レヴィットと結婚。しかし、政府からの圧力の下、何とこのレヴィットは彼女を置き去りにして一人逃亡。僅か1年の結婚生活。その後、1922年ミュンヘンに自らのスタジオを構え、ポートレートを撮り始める。この頃、詩人リルケや哲学者ホルクハイマー達が彼女に影響を与えたとされている。

 2度目の結婚はオランダ人の前衛写真家ヨリス・イヴェンス(ドキュメンタリー映画等も撮っていたそうだ)。時はナチスの台頭。1944年フランスにてパリ開放の写真を発表。彼女はアフリカや東南アジア(バンコに20年)にまたしても移動。その間、ダライ・ラマに傾倒し、インドに亡命したチベット仏教徒達と生活。再び1966年にパリに戻り、最初の回顧展を開く。アンドレ・マルローやジャン・コクトーの支援と交友はずっと続いていたという。晩年は病に伏しドイツへと戻る。世界中を、激動の時代を生き抜き、最期は再びドイツに眠るという90年弱の人生はいったい、長かったのだろうか?束の間だったのだろうか?あまりにも壮絶だ。

 私がこの女性写真家の名を知り得たのは、ジャン・コクトー(Jean Cocteau)が好きなので、その一枚の肖像写真に出会った時です。

 (記:2007年5月2日)

2010年7月26日月曜日

『女優讃歌★美と浪漫』 リリアン・ギッシュに寄せて♪




 リリアン・ギッシュが好き!当然の如く「少女イコン」のリリアン・ギッシュ(1893年10月14日~1993年2月27日)は約1世紀を生き子役時代(5歳頃)から舞台出演、映画デビューは1912年の『牧場の花』(未見)なので18.9歳頃。生涯独身を貫き女優に生きたお方。私は年老いたリリアン・ギッシュのお姿からどうにか一緒に時を歩めた、それだけでも嬉しい。私如きがこの女優さまを語るには畏れ多いのだけれど、可能な限り古い作品も観ている過程に今もある。サイレント期のソフト化されていない作品、またトーキー時代になりグラマーではないリリアン・ギッシュはお払い箱のようになる。でも!スクリーンから舞台に活動の場を移していた。そんな時期に演じた”ハムレット”の舞台などを想像しうっとりするのが精一杯ながら、今も私に夢を与えてくださるのだ。なんて!素敵なことだろう。

 多くのお写真に写る可憐なお姿、特に瞳が大好き!スクリーンに戻って来てからの母親役や祖母役ではカラーの映像。年老いても可愛いお方でどこか凛とした美しさをいつも感じていた。初めて観た作品はロバート・アルトマンの『ウェディング』。大好きな映画のひとつであり、アルトマンお得意の群像劇でお婆さん役だった。『許されざる者』も大好きな作品で、オードリー・ヘプバーンとバート・ランカスターのお姿と共に今も浮かぶ。そして、『八月の鯨』でのベティ・デイヴィスとの共演の姉妹...老いても乙女とはこのようなお方のことではないだろうか!と穏やかな気持ちになれるのだ。『國民の創生』や『イントレランス』を初めて観た時の驚きは喩えようがない!また、『散り行く花』で演じた15歳の少女ルーシー役(26歳の頃)...ああ、泣けてくる。薄倖の乙女の姿は詩情溢れるもの。私は”詩”がとても好きなのだけれど、日本だと大正時代のこの作品に何か郷愁を抱いてしまう。なので映画が好きなのだろう。知らない時代、異国なのに...♪妹のドロシー・ギッシュと共演した作品(『嵐の孤児』)もあるし、お写真でしか知らない『風』や『白鳥』も是非観たいと願っているところ☆

(記:2008年2月20日)

2010年7月24日土曜日

『夢の宝石箱 VOL.4』 「サラ・ムーンの世界を初めて知った頃」 1986年


 サラ・ムーン(SARAH MOON)という女性写真家の作品を初めて知った(鑑賞した)のは1986年のこと。今も私は写真よりも古い絵画を鑑賞する方が遥かに好きなのだけれど、写真ならではの魅力というものがある。サラ・ムーンは殊にお気に入りの写真家のお一人。

 このお写真は中でも印象強く残っている作品のひとつで「DEAD ROSES」と題されたもの。薔薇のお花は大好きだし、また枯れてしまったお花にも美は残る。お花という生き物はなんて美しく儚い存在なのだろう!この枯れた薔薇はどんな色をしていたのだろうか。色褪せて枯れ朽ちてしまっても、まだ「美」を与えてくださる。この薔薇の鮮やかに咲き誇っていた時間を想う。過ぎ去りし夢の時間。

サラ・ムーンは確かにいつも同じ歌を歌っている。しかし、同じ歌になるように操作しているのではなく天性の問題なのだ。一定の音階の中で彼女の声は揺れ動き執拗に思い出と失恋の歌、過ぎゆく時とはかない幸福の哀歌を口ずさむ。サラは冬の朝の灰色の光と雨上がりの水のきらめきを歌う。また見捨てられた子供の恐れも歌う。ポール・ヴァレリーは美とは絶望するものであると言った。サラは美を歌うが希望をもつことに絶望はしない。
ロベール・デルピール
(フランス国立写真センター理事長)

『サラ・ムーンのミシシッピー・ワン』 サラ・ムーン監督 1991年


サラ・ムーンのミシシッピー・ワン/MISSISSIPPI ONE

1991年・フランス映画 

監督:サラ・ムーン  製作:フィリップ・デュサール  
脚本:サラ・ムーン、ベニタ・ジョルダン 
撮影:エチエンヌ・ベッケル  音楽:ヴィヴァルディ、デヴィッド・ロウ  
出演:アレクサンドラ・カピュアノ、デヴィッド・ロウ、イザベル・モリー 

 アレクサンドラ・ウルフ(アレックス)は感性豊かなちょっと大人びた8歳の少女。コマーシャルのモデルをしながら、歌手の母(イザベル・モリー)と二人暮らし。夏の終わりのパリ。精神病院で入院していた男デイヴィッドが学校帰りのアレクサンドラを誘拐してしまう。男の車は北へ向かう。泣き叫ぶアレクサンドラの髪を切り黒に染めてしまう。でも、次第にその男の優しさに微笑み、孤独な二人の心が通じ合うようになる。実は死んだはずの父だとも知らず、アレックスはこの逃避行の中、淡き恋と冒険を楽しむのだった。けれども、季節は過ぎ行き、やがて秋の寒さがデヴィッドを憂鬱にさせる。悲しいカウントダウン・・・。アレックスの可愛い笑い声、首に掛けた映写機、ベレー帽や着ているお洋服...。そして、幾度と流れる主題曲の美しさ、セピア色の映像は回転木馬や寂しい湖等と共にあまりにも印象的で綺麗。サラ・ムーンの映画初監督作品。

『麗人図鑑 VOL.32』 郷ひろみ:HIROMI GO

私が幼少の頃から今も心トキメク存在のHIROMI GOは輝き続けていてくださる稀有なる存在。郷ひろみにしか歌えないジャパニーズ・ポップスの名曲が増え続けていることも驚異的なこと!ひろみの真骨頂であるライヴ体験はテレビで拝見する以上に華麗でカッコいい!スター☆HIROMI GOを再認識したものでした。アイドルからスターへという軌跡は凡人には分らない苦悩もあっただろう。人気や名声に溺れることなく今なお自己の目指す「郷ひろみの世界」に挑むお姿はストイックで眩しく美しい☆

2010年7月13日火曜日

『夢の宝石箱 VOL.3』 「もえと妖精たち」 著:永田萌 1981年


しあわせが 
蜜のように あまいとは 
かぎりません

ふしあわせが
毒のように にがいとは
かぎりません

しあわせのなかにも
舌にのこる にがさは
ありますし・・・

ふしあわせのなかにも
かすかな あまさは
あるのです

 絵本作家である永田萌さんの1981年に刊行された画集(ことばと絵から成る)『もえと妖精たち』という大好きな作品があります。上記の詩はその中の一篇です。

 幼少の頃、思春期の頃...だんだん年齢だけ大人になってゆく中で、幾度も葛藤がありました。今もはみ出したままの気がしますが、人生は尊いと思えます。世の中は汚いばかりでもないとも。意地悪で心の荒んだ人々もいることも知ってしまったけれど、心優しく繊細で傷つきやすいけれど愛する世界を持っている人々、寛容で常にマイペースな当店主や大切な友人たち...充分に素晴らしいではないか!と思えるのです。相変わらず「少年少女」が大好き!無性で聖なる存在。そんな少年少女たちと同じ位に大好きなのが「妖精」。これも変わることは無いようです。妖精にもいろんな性質があるように、子供たちも様々。そして、大人になってゆく...。現実を生きている私は、時々、「此処ではないどこか」へ行ってしまうらしい。いつの間にか得た私の処世術なのかもしれない。

 夢は儚くぼんやりしています。でも、夢の世界の住人達は優しく私を迎えてくださる。居心地の良いそんな私の「夢の宝石箱」には大切なものたちで溢れています。あるお方からすれば「ただのガラクタ」のようなものも多いかも。私には愛しいものばかり。そして、幼き日の幻影や記憶、風景もそれらの愛するガラクタたちと一緒に居るのです。

2010年7月12日月曜日

『美神肖像 VOL.1』 サラ・ベルナール:SARAH BERNHARDT 写真:フェリックス・ナダール:FELIX NADAR

 ベル・エポック時代の伝説の舞台女優サラ・ベルナール。これは古いお写真で、17~18歳頃(1865年頃)のまだあどけなさの残るお顔のもの。でも、どこか清楚さと大人の風情が香ります。撮影は同じ時代のフランスを代表する肖像写真家フェリックス・ナダール(Felix Nadar)によるもの。ナダール親子二世代を魅了し、アール・ヌーヴォーの代名詞でもあるアルフォンス・ミュシャの作品(9点)、舞台ではオスカー・ワイルドの『サロメ』を演じビアズリーにも影響を与え、生涯幾度も演じたと言われるアレクサンドル・デュマ・フィスの『椿姫』、シェイクスピアの『ハムレット』(最初に演じた女優とも言われている)などの舞台、晩年は映画制作(破棄されたものもある)など、最期まで女優であったお方。舞台からの落下による怪我、足を切断という老年期でさえ、演劇への情熱は失せることはなかったという。私は映画や女優さまがとても好きで、さらに魅せられる時代を生きたサラ・ベルナールという美神(ミューズ)が好き。その想いが何故だか大きく深くなっているところ。貧しい私生児として生まれ、当時は卑しい職業とされていた娼婦と女優というお仕事を選び、多くの芸術家たちに愛され影響を与え続けた。時を超えて私は何かしらの美しいエネルギーを頂いているように常に想うのです。

2010年7月5日月曜日

『歌姫逍遥 VOL.2』 パトリシア・カース:PATRICIA KAAS



パトリシア・カース:PATRICIA KAAS

わたしは あのローズ・ケネディとは違うわ
愛する息子たちが
いつか 合衆国の大統領になるなんて
そんな ばかげたことは 望んだりはしない

彼女の 名前は ケネディ・ローズ
いったい どんな運命の悪戯が
あんなに綺麗な 薔薇を
一生賭けて 挑戦し続け
一生賭けて 闘い続けるような 息子たちの母親にしたというの

わたしは あのローズ・ケネディとは違うわ
愛する息子たちが
いつか合衆国の大統領になるなんて
そんな ばかげたことは 望んだりはしない

ローズ ローズ
いったい 何のために
何かが 起こったはずね

歌:パトリシア・カース 作詞:エリザベート・ドパルデュー

『シネマ蒐集 VOL.3』 映画『まぼろし』のマリー役について語るシャーロット・ランプリング



「このマリーの役は、一つの役というよりはこれまでの人生の集大成といったことかもしれません。誰もが通らなければならない道なのです。私の姉は20歳のときに自殺しました。母は姉の死後もずっと姉が生きている如く思い出に生きようとしました。私はといえば、彼女を弔うどころか忘れようとしたのです。でも、死んだ人をいつまでも放してあげないということも問題です。ある時、死後の世界に旅立たせてあげなくてはいけないのではないでしょうか。」by シャーロット・ランプリング

 日本で公開直前のインタビュー記事より。2001年、大阪の今はもう無い小さな映画館で観たもの。観終えた私はお仕事に戻る為に、その帰り道を呆然とフラフラと歩いていたと思う。涙がいつまでも止まらないまま。雑誌の整理をしていたら出てきたこの記事。偶然は有り得ない。当時の私はこのインタビューを繰り返し読んだ。そして、今、ようやくこのお言葉に頷くことが出来るようになった...まだ不安定だけれど、私も両親の死をやっと受け入れる用意ができるところまで。小学生の私をあの視線が釘付けにした。そして今も。特別な思い入れの強いお方。それにしても、素晴らしい作品。オゾン監督を見直した作品であり、ランプリングでなければ!という静かで美しい崩れゆくさま。挿入歌でバルバラのシャンソンも流れる。

 上記の拙文は2006年5月29日に記したものです。それから4年経た今の私も然程当時と変化はないかもしれない。けれど、やはり「死」を受け入れることは難しい。最愛の人ならば一層...。シャーロット・ランプリング!私はまだ11歳か12歳という子供の頃に『愛の嵐』で知ったお方。私の初恋の女優さま。幼い私が強烈な衝撃を受けた...ダーク・ボガードも然り。上手く綴れないけれど、敬愛してやまぬ私の父を想う。自覚はまったく無かったけれど、どうもファザコンであったらしい。そんな自分を言葉に出来るようになったのは、少しばかり成長したのかもしれない。映画『まぼろし』はマリーと同じ50代になった頃、観直すとまた違った想いを抱くのだろうな...とも想う。重く哀切な美しい映画を今はない小さな劇場で観れたあの思い出(空間)は忘れることは無いだろう。

まぼろし/SOUS LE SABLE
2001年・フランス映画 
監督:フランソワ・オゾン 脚本:フランソワ・オゾン、エマニュエル・ベルンエイム、マリナ・ドゥ・ヴァン、マルシア・ロマーノ 撮影:アントワーヌ・エベルレ(第一幕)ジャンヌ・ラポワリー(第二幕)
音楽:フィリップ・ロンビ 出演:シャーロット・ランプリング、ブリュノ・クレメール、ジャック・ノロ、アレクサンドラ・スチュワルト、ピエール・ヴェルニエ、アンドレ・タンジー

2010年6月21日月曜日

『シネマ蒐集 VOL.2』 ペーター・ハントケ 『わらべうた』 ヴィム・ヴェンダース監督の名作『ベルリン・天使の詩』


子供は子供だった頃 
いつも不思議だった
なぜ 僕はここにいて そこにはいない?
時の始まりは いつ?
宇宙の果ては どこ?
この世で生きてるのは ただの夢?
見るもの 聞くもの 嗅ぐものは
この世の前の世の幻?
悪があるって ほんと?
悪い人がいるって ほんと?
いったい どんなだった
僕が僕になる前は?
僕が僕でなくなった後
             いったい僕は 何になる?         

「ベルリン・天使の詩」わらべうた 第2連より
原詞:ペーター・ハントケ

1987年・西ドイツ/フランス合作映画 
監督:ヴィム・ヴェンダース 脚本:ヴィム・ヴェンダース、ペーター・ハントケ
撮影:アンリ・アルカン 音楽:ユルゲン・クニーパー
出演:ブルーノ・ガンツ、オットー・ザンダー、ソルヴェーグ・ドマルタン、クルト・ボウワ、ピーター・フォーク

 ペーター・ハントケ(Peter Handke)はオーストリア出身で現在はフランス在住の作家。ヴィム・ヴェンダース監督とは『ゴールキーパーの不安(1971)』『まわり道(1974)』『ベルリン・天使の詩(1987)』で原作及び脚本を担当しており親交が深かったけれど、ユーゴスラビア紛争でのメディア批判での意見の違い以降は仲がよくないという。自ら監督・脚本の『左利きの女(1977)』ではヴィム・ヴェンダースは製作、ブルーノ・ガンツも出演していました。