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2010年6月21日月曜日

『シネマ蒐集 VOL.2』 ペーター・ハントケ 『わらべうた』 ヴィム・ヴェンダース監督の名作『ベルリン・天使の詩』


子供は子供だった頃 
いつも不思議だった
なぜ 僕はここにいて そこにはいない?
時の始まりは いつ?
宇宙の果ては どこ?
この世で生きてるのは ただの夢?
見るもの 聞くもの 嗅ぐものは
この世の前の世の幻?
悪があるって ほんと?
悪い人がいるって ほんと?
いったい どんなだった
僕が僕になる前は?
僕が僕でなくなった後
             いったい僕は 何になる?         

「ベルリン・天使の詩」わらべうた 第2連より
原詞:ペーター・ハントケ

1987年・西ドイツ/フランス合作映画 
監督:ヴィム・ヴェンダース 脚本:ヴィム・ヴェンダース、ペーター・ハントケ
撮影:アンリ・アルカン 音楽:ユルゲン・クニーパー
出演:ブルーノ・ガンツ、オットー・ザンダー、ソルヴェーグ・ドマルタン、クルト・ボウワ、ピーター・フォーク

 ペーター・ハントケ(Peter Handke)はオーストリア出身で現在はフランス在住の作家。ヴィム・ヴェンダース監督とは『ゴールキーパーの不安(1971)』『まわり道(1974)』『ベルリン・天使の詩(1987)』で原作及び脚本を担当しており親交が深かったけれど、ユーゴスラビア紛争でのメディア批判での意見の違い以降は仲がよくないという。自ら監督・脚本の『左利きの女(1977)』ではヴィム・ヴェンダースは製作、ブルーノ・ガンツも出演していました。

2010年6月20日日曜日

『シネマ蒐集 VOL.1』 ルキノ・ヴィスコンティ監督の美少年時代(ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ:LUCHINO VISCONTI DI MODORONE)


 敬愛している大好きなルキノ・ヴィスコンティ監督。その高貴な美少年時代にもまたうっとりなのです♪ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti:1906年11月2日~1976年3月17日)は11世紀から続くミラノの貴族ヴィスコンティ・ディ・モドローネ公爵の四男(7人兄弟の4番目)として生まれる。ヴィスコンティについて、ヴィスコンティの映画は一生愛し続けるであろう、私の敬愛する芸術家であり映画人であり作品たち。オペラの舞台も手掛けておられるけれど、それらもいつの日か観てみたいもの。日本公開された映画は全て拝見できどれも大好き。幸いなことに、劇場の大画面でその多数を体験できたこと、それらの焼きつく映像は永遠☆ヴィスコンティ映画は大好きなお方と苦手なお方に別れるようだけれど、それも納得。私はたまらなく大好き!ネオレアリズモ時代も当然のこと。耽美でデカダンの巨匠との呼称では足りない。”赤い貴族”と呼ばれる由縁は作品群の中でも重要なものとして、問題提起されているとても深いもの。また、”家族”特に”母親”という存在がとても象徴的に描かれることも見逃せないと思う。ヴィスコンティがいなければ私は今、こんなに映画が大好きだったか...と思う程、思春期から今日まで自分では計り知れない影響を受けてきたのだと思う。

 貴族に生まれた男の子は、よくスカートを穿いているので女の子のようで可愛いです。左上のお写真は1920年のルキノ少年(13歳頃)の凛々しくもお美しいお姿にうっとりなのですが、この頃から既に音楽の才能に秀でておられたらしく、以下のような当時の記事が残っている。

昨夜、音楽学校においてチェロを学ぶ三人の学生が、デ・パオリス教授により聴衆に紹介された。彼らは予定された曲目を見事に演じて、その才能のほどを示し、非常な喝采を博した。なかで最も若いルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネはB・マルチェロのソナタを演奏し、アマチュアとは思われぬ技量を示した。(1920年6月8日付のミラノの新聞「ラ・セーラ」より)

お母様と美形揃いのルキノと兄弟たち(1911年)

『カイロの紫のバラ』 ウディ・アレン監督 1985年



カイロの紫のバラ:THE PURPLE ROSE OF CAIRO
1985年・アメリカ映画 
監督・脚本:ウディ・アレン 撮影:ゴードン・ウィリス 
衣装デザイン:ジェフリー・カーランド 音楽:ディック・ハイマン
出演:ミア・ファロー、ジェフ・ダニエルズ、ダニー・アイエロ、ダイアン・ウィースト、ステファニー・ファロー、ヴァン・ジョンソン

 ミア・ファローが出演している作品は脇役であろうが何でも観ている(でも未見ものが後5作あるけれど)。今は60代だけれど可愛いお方だ。あの繊細な表現はもっと評価されても良いと思う。でも好きな方が好きでそれでいいのだけれど。この様な私の中で欠かせないお方について語り出すと切りがない。

 この『カイロの紫のバラ』は初めて観た時から大好きな映画だ。ウディ・アレンは子供時代から映画が大好きで共に育った様なお方。そんな映画好きの方による映画好きの人々のための作品の様なロマンティックかつファンタジックな傑作。ウディ・アレンの熱狂的なファンのお方はとても多い。私も好きな作品は多いけれど、ミア・ファローやダイアン・キートンが出演されているから観るようになったという、やはり「女優優先型」なお気楽な鑑賞者である。

 
 お話は、ゲームに明け暮れ暴力亭主ながら妻を愛しているダニー・アイエロの味もイイ感じの1930年代のアメリカ、ニュージャージーが舞台。その妻セシリア役のミア・ファローの魅力的なこと!ウエイトレスのお仕事をしながら家計をやりくり。しかし、映画が大好きで公開中の『カイロの紫のバラ』の中の詩人で探検家:トム・バクスター(ジェフ・ダニエルズ)に夢中。お仕事中も映画を思い出しうっとり~。お皿を落として割ったり店主に叱られっぱなし。遂にはクビになる。それでも、泣きながらも映画館に向かい、スクリーンに魅入ってしまう。この夢見心地な素敵な表情が大好きなのだ。ウエイトレスとして一緒に働く姉役はミアの実のお姉さんのステファニー・ファロー。同じブロンドの髪の色でやっぱり痩せっぽっち。そう言えば、ミアの実の妹さんのティサ・ファローは『マンハッタン』に出演していたので、ウディ・アレン作品に3姉妹共出ているのだなぁ。ミアはこの作品はウディ・アレン作品では第4作目となるものでハマリ役の一つだと思う。

 何が好きかと言うと、この主人公セシリアの映画に魅せられるあの気持ち、そして映画館から出ると冴えない現実。「夢に惹かれても現実を選ぶしかない。」という台詞も出てくる。でも、夢を与えてくれる映画の魅力は現実と同等の価値なのだ。私は作品に感情移入し易く、よくその中に入り込む。当然そこから現実に戻る事も知っている。そんなジレンマの繰り返しで生きている。こんな私を肯定して下さるかの様な優しいロマンティックな映画なのだ。セシリアがうっとりしてしまう美男子トム・バクスターが突然スクリーンの中から現れる。そして、そのスクリーン中の役者達もお話が進まなくなって大混乱!そして、トム・バクスター役を演じる映画スター:ギル・シェパードまで現れ、セシリアはこの虚像と実像の二人から愛されてしまう。そして、遂にはセシリアまでもがスクリーンの中に入ってしまったり...。こんな有り得ないけれどこの感覚に近いものを私は何度も感じて来た。きっとそんなお方は多いと思う。

 ハリー・エドムンド・マルティンソン(スウェーデンの作家)は映画館のことを、「人生の臆病者たちの神殿」と呼んだという。何て素敵な表現だろう!正しく頷いてしまう。辛いことがあったり、ちょっとイライラしたり、ブルーな気分の時でも私は映画を観る。選ぶ作風は様々だけれど、涙を昇華する事が出来る様に思うのだ。なので、映画が大好き!なのかも知れない。

 忘れてはならない事がもう一つ有った。ウディ・アレン映画の常連のお一人でもあるダイアン・ウィースト(どんな映画の中でも素晴らしいと思う)。とてもチャーミングな女優様。知的で柔らかいあの感じ。可愛いお声はミアとの共通項でもある。そして、両親共に映画人一家のファロー姉妹。そんな映画と共に生きてきた人たちが作った作品なので愛に溢れている。それも、押しつけがましくなくあくまでも素朴な視点。きっと、ウディ・アレンは子供の頃からそんな映画大好き少年だったのだろうと思う。最後は優しさのあまりほっこりとした涙が浮かぶのだった☆

『歌姫逍遥 VOL.1』 ウテ・レンパー:UTE LEMPER


ウテ・レンパー:UTE LEMPER

沈みながら 私はあなたに魅せられる
沈みながら 頭上を水が流れる
小魚たちの音がする

沈みながら 残酷なあなたの名前をつぶやく
沈みながら 目の代わりにヒトデをもらった
あなたの頭が大きな赤い風船に見える

沈みながら あなたの大きな手が胸に重い
沈みながら あなたの声がだんだんと遠ざかってゆく
あなたはこうして私の命を奪うの

私の髪、波打ってるでしょう
沈みながら、とても美しく見えるでしょう
銀色の泡に飾られた銀色の髪

 歌:ウテ・レンパー 作:ニック・ケイヴ


2010年6月19日土曜日

『エム・バタフライ』 デヴィッド・クローネンバーグ監督 1993年


エム・バタフライ:M. BUTTERFLY
1993年・アメリカ映画
監督:デヴィッド・クローネンバーグ 脚本:デヴィッド・ヘンリー・ホアン
撮影:ピーター・サシツキー 衣装デザイン:デニース・クローネンバーグ 
音楽:ハワード・ショア
出演:ジェレミー・アイアンズ、ジョン・ローン、バルバラ・スコヴァ、イアン・リチャードソン、アナベル・レヴェントン、シズコ・ホシ

 この作品は公開当時から何度観ているだろうか。監督はカナダの奇才!デヴィッド・クローネンバーグで、主演はジェレミー・アイアンズ。このコンビは80年代には『戦慄の絆』でも名コンビぶりを発揮していた。オスカー受賞後もアイアンズは色んな役柄に挑戦し続けている。しかし、このような崩れゆく悲哀、憑かれた知的な役柄をさせると右に出る者はいない!と評される英国を代表する演技派であり、国際俳優としても名優のお一人として今なお第一線で映画と舞台共に活躍されている。ジョン・ローンの女装という事でも当時話題になった。ジョン・ローンの女装は個人的には好みではないけれど、長身のアイアンズと小柄なジョン・ローンの共演は興味があった。それにしても、この作品でもクローネンバーグの世界炸裂!演出の突出した秀逸さ、そして、ジェレミー・アイアンズの演技の素晴らしさに尽きるように思う。実在のお話を基に、デヴィッド・ヘンリー・ホァングの原作をクローネンバーグが脚色したもの。舞台劇として先に上演され映画化の運びとなった。


 フランス大使館の外交官ルネ・ガリマールが中国人女優のソン・リリンに惹かれて行く。プッチーニの『蝶々夫人』。ガリマールには美しい妻(バルバラ・スコヴァ)がいるが、ソンを一度も男性とは疑わずに女性として魅せられて恋に堕ちる。ソンは当局の任務を受けたスパイ。ガリマールは奥ゆかしい東洋人女性を純粋に愛し続けた。後半からの展開、さらに裁判にかけられ受刑者となるガリマール。「私はルネ・ガリマール、またの名をマダム・バタフライ。」蝶々夫人はソンではなくガリマールであったという、大きな錯誤、逆転する世界。もうクローネンバーグ&アイアンズならではの美学に花散る。「私は、男が作り出した女を愛した男だ。私はそのまま想像の世界にとどまる。私は想像力そのものなのだ。」とガリマールは顔に粉化粧をし紅を塗り、蝶々夫人を演じながらガラスの破片で首の静脈を切り自決する。現実と幻想を飛び越えた狂気の最期。壮絶さと醜悪さの混在する死に至る美しき男の美学!なんたる愛のロマンか!!

 しつこいようだけれど、アイアンズの存在と繊細な演技力、クローネンバーグの手腕が映像をグイグイと美しく破滅に向かわせる。80年代、90年代にこのコンビで名作を作り上げた。どちらのファンでもある私はまたもう一度、美中年(美老年)のアイアンズのクローネンバーグ作品を観たいと熱望している。

2010年6月18日金曜日

『女優とファッション VOL.1』ルル(ルイーズ・ブルックス:LOUISE BROOKS)のボブ・スタイル

 1920年代から30年代。特に”サイレント映画の女優”というと思い浮かぶお方のお一人が、このルイーズ・ブルックス。『パンドラの匣』という伝説の映画を観る前に何枚かのポートレートで知った。黒髪にショート・ボブのヘアースタイルが先ず印象的だった。この当時の女性たちは断髪からファッションも大きく変わる時期で、外に向かうハツラツとした女性たちはある種の革命のように思う。日本でも昭和の初期頃にはモガ(モダン・ガール)やモボ(モダン・ボーイ)という言葉が流行したそうだし、断髪することで帽子のデザインも変わってゆく。少年ぽい女性たちというのだろうか、私の世代だと1980年代に女の子たちのボーイッシュな髪型が流行った(アレンジは多様ながら)。そういえば、私も小学生の頃、おかっぱ頭にしていた(されていたのだけれど)時期があった。大抵は母に髪を切ってもらったり梳いてもらっていた頃、なんだか懐かしい。ルイーズ・ブルックスはグラマーではなかったのも魅力。マレーネ・ディートリッヒはドイツからアメリカ映画へ。そして、ルイーズ・ブルックスはアメリカ(イギリス系のアメリカ人)からドイツ映画へ。そういう逆輸入も面白いと思う。”ルル”の魅力は当時を体験されている方々にとって、どんなに魅惑的な存在だったことだろう!と、ほとんどの出演作を知らない私は夢を馳せる☆

2010年6月17日木曜日

『私の好きな歌・VOL.8』 MARIANNE FAITHFULL/AS TEARS GO BY 1964年


 私が最も大好きな女性ヴォーカルを一人だけ選ぶとしたなら、やはりマリアンヌ・フェイスフル!当時のブリティッシュ・ポップ界はアメリカン・ポップ界のようにしっかりとシステム化というのかな、そういう機能的なものがまだ未完の状態で曖昧だったようだ。そんな当時のロンドンは所謂「スウィンギング・ロンドン」な時代で若者たちが活き活きと音楽業界でも活躍していた頃。マリアンヌ・フェイスフルはそうした時代の中、1964年7月に歌手としてデビューされた(17歳)。その曲は『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ(涙あふれて)』。曲提供はローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズ(嘗てはキース・リチャードと記されていた)。今でもマリアンヌ・フェイスフルというとこの曲という位有名。しかし、自ら歌手になりたくてなった訳でもなく、可憐な容姿を見初められてのこと。ストーンズの二人が作った曲ということもあり一躍「英国ポップス界の華」となる。けれど、この曲も含めたアイドル時代のマリアンヌのアルバムでのベスト10入りは無い。このシングル『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ(涙あふれて)』の最高位は全英9位、全米22位とデータにある。またアルバム・デビューは1965年(1st&2nd同時発売)でセカンド・アルバム『MARIANNE FAITHFULL』にこのデビュー曲は収録されている。英国デッカ(DECCA)時代の初期のおよそ1年半程が実質的なアイドル時代とも云える。そして、ストーンズとの交流、とりわけミック・ジャガーとのロマンス、破局...お嬢様アイドルのマリアンヌ様が次第とドラッグ騒ぎにも巻き込まれスキャンダルの女王と転落してゆく。そして、その地獄からの帰還に至るまでには10年もの時が必要であった。ああ!凄まじい人生である!壮絶である!強靭である!素敵である!崇高である!と讃えることしか出来ないお方。

 多くのアイドルは長くは続かず何処かに消えて行かれる。たった1曲だけのヒット曲で消えてしまった方も多い。アイドルから幾十年もの間人気と実力を備え続けるお方はそう多くはいない(古今東西のそのような方々は皆凄いのだと想う)。ドラッグやアルコール(煙草もだろう)などですっかりアイドル時代の清楚なお声は潰れての復活であった。でも、そこから以降がアーティスト:マリアンヌ・フェイスフルの今日までの軌跡でもある。しかし、アイドル時代もどん底時代もまたマリアンヌ様の軌跡である。全体を時代と共に見てしまう。大好きなお方の場合はどうしても。歌唱力が素晴らしいというお方でもないけれど、今ではあのお声は「呪詛」とまで云われる程の存在感あるお声。そのお声にはそれまでの生きてこられたものが沁み込んでいるのだと想う。普通ならあの荒廃した時期に消えていただろう。此方では追々に、作品の感想などを綴ってゆきます。私が16歳の時。それ以来、今もずっと大好き!ある意味、ボウイに匹敵する位好きかもしれないとも(ボウイと同い年でもある)...生まれ持った気品や知性はお歳を召されても失うことは永遠にないだろう。経歴や映画のこと等を『クララの森・少女愛惜』にて少し綴っているので、あまり重複しないように続けます♪

2010年6月16日水曜日

『夢の宝石箱 VOL.2』 「マリアンヌの夢」 著:キャサリン・ストー 1958年


 イギリス・ロンドン出身(1913年生まれ)の作家であり精神科医でもあるキャサリン・ストー(CATHERINE STORR)は児童文学を数多く書かれている。その中でまったく異色の作風として印象深く残っている、大好きな作品である『マリアンヌの夢』(1958年)のご本のこと。独特の「心理ファンタジー」と称される代表作が『マリアンヌの夢』だと想う。他にも『かしこいポリーとまぬけなおおかみ(ポリーとはらぺこおおかみ)』(1955年)や『ルーファス』(1969年)も面白い。
 
 このお話の主人公である少女マリアンヌは10歳。お誕生日を迎える前に病気で入院してしまうことになる。9週間もの間外出できない。ある日、ひおばあちゃんの裁縫箱から鉛筆を見つけ絵を描き始める。家を描くとそれが夢の中に現れる。男の子マークを描くと彼も夢に...。けれど、その自分で描いた家に入りたくても入れない。また、そのマークという男の子は現実に病気で外にでることができない。目のある岩(石)が不気味な存在で怖い。この夢の中のマークというのは実は病気の少女マリアンヌ自身である。現実の不自由さや鬱憤を投影しているのだろう。キャサリン・ストーはこうした作品をいくつか書かれていて、それらは「心理ファンタジー」と称されるもの。とても素晴らしい!
 
 『マリアンヌの夢』は児童文学でもあるけれど、少年少女たちにだけに向けられて書かれたものではない。「児童文学」とか「ファンタジー」というカテゴリーすら曖昧だし読む者の感性に大きく委ねられるもの。私は色んな文学が好きなのだけれど、とりわけ主人公が少女だと単純に心が嬉々とするし、少年でも気になるようになっている。でも、登場人物が魅力的ならその作品に惹き込まれて行く。なんとなく自分で気付いてきたことは、やはり時空を超えたお話などの時間軸が自在に揺れ動く作風には弱いらしい。広義なジャンルだと「SF」というのかもしれないけれど、メカニックなものが主導権を握るものよりも、登場人物たちの心の動きや成長の様子などが繊細に描かれているものに心が動くことの方が断然多いし、好き。作者自身の体験や生活などが作品に反映されることも多々ある。この『マリアンヌの夢』も作者であるキャサリン・ストーご自身と大きく関係しているのだと以下のように語っておられます。
長い間、私は、自分の子供っぽさを認めようとはしませんでした。けれども、自分の作品のなかで、いちばんよく書けたものが、私の子どものために書いたものではなく、自分自身のために書いたものであることは知っていました。ウィリアム・メインは、だれのために作品を書くのかと問われたとき『かつての私だった子どものために』と答えました。これは、多くの子どものための作家に通じる真実だと思います。しかし、今もなお子どもである自分のために書くことも真実だと私は思っています。
『とげのあるパラダイス 現代英米児童文学作家の発言』 エドワード・ブリッシェン編 より

2010年6月15日火曜日

『私の好きな歌・VOL.7』 SUZANNE VEGA/LUKA 1987年


 スザンヌ・ヴェガの2ndアルバム『孤独 ひとり(Solitude Standing)』(1987年)に収録の名曲『ルカ(LUKA)』。階上に住む少年が両親によって虐待されているという深刻な内容の歌。このような現実に起こっている問題を歌にする勇気は必要だと想うので、さらりと歌ってしまうスザンヌ・ヴェガが好き。スザンヌ・ヴェガの1stアルバム『街角の詩(Suzanne Vega)』(1985年)から聴き始め、今も好きなシンガー・ソング・ライターのお一人。そもそもはこのデビュー・アルバムのプロデューサーがレニー・ケイだと知りアルバムを購入したのがきっかけ。すっかり気に入ってしまい今に至る。
 
 スザンヌ・ヴェガは1959年7月11日生まれで、サンタモニカ生まれのニューヨーク育ち。決して恵まれた家庭環境ではなかったようだけれど、義父がプエルトリコ系の作家であり、マルチカルチャーな影響を受けて育ったようだ。そして、9歳頃から義弟たちに曲を作ってあげていたという。本格的な音楽活動は1979年頃で、ルー・リードのライヴ体験が大きかったそうだ。大学生の折にグリニッチ・ヴィレッジ等で歌うようになり、1984年にA&Mと契約された。
 
 スザンヌ・ヴェガは自ら、「もともと声量がないため、感情を表に強く出すよりも、サウンドに溶け込むように語っていく方が好き」と語っておられ、アストラッド・ジルベルトの歌い方を真似ているうちに、今の歌い方になったそうだ。あの乾いたあっさりとしたウィスパー・ヴォイス!私が直ぐにスザンヌ・ヴェガが好きになったのはあのお声と歌い方にあったと想う。

2010年6月14日月曜日

『私の愛聴盤 VOL.7』 DEAD CAN DANCE/AION 1990年

DEAD CAN DANCE/AION
1990年 4AD
1. The Arrival and the Reunion
2. Saltarello
3. Mephisto
4. The Song of the Sibyl
5. Fortune Presents Gifts Not According to the Book
6. As the Bell Rings the Maypole Spins
7. The End of Words
8. Black Sun
9. Wilderness
10. The Promised Womb
11. The Garden of Zephirus
12. Radharc


 DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)の1990年の5thアルバム。まだバンド形態としてのドコドコとした暗黒感覚に溢れていた1stから今も好きでよく聴いている。80年代の『4AD』は英国のとても好きなインディー・レーベルだった。その最も好きな時期の『4AD』はコクトー・ツインズとこのデッド・カン・ダンスが主軸だった。DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)は「デカダンス」を捩っているとも想う。

 初期のゴシック感覚からさらに民族音楽や古楽に至る中世の空気が強化されていった。徐々にブレンダン・ペリーとリサ・ジェラルド(リサ・ジェラード)の2人の世界は深まって行く。個人的にこの作品がリリースされた頃、ある重圧と葛藤の時期でもあった。そんな中、この作品を聴きながら辛うじて祈りと心の平静さを保つ事が出来た。ある人生の過渡期に一緒に居てくれた音楽は忘れられない。
 
 とてもヨーロッパ的な芳香が強いのだけれど、このデッド・カン・ダンスの出身はオーストラリアのメルボルン。そして、イギリスに渡りアメリカ...と活動の場を広げてゆく。それも全くスタンスを崩す事無く、商業主義に陥る事無く、独自の道をゆっくりと(その間、ソロ作品もある)。リサ・ジェラルドは麗しい美貌の持ち主(嘗て「Fool's Mate」にて"NewWave界の(?)いしだあゆみ"というような形容があった)、ブレンダンもまるで貴公子の様な佇まい。しかし、彼らはジャケットにはご自分の容姿ではなくあるシンボル的なものや絵画などを使う。この1990年のアルバム『AION』のジャケット・デザインは23Envelopeではなくブレンダン自らが担当。この絵画はヒエロニムス・ボス(ボッシュ)の作品が使用されている。フランドル(ネーデルランド)のルネサンス~ゴシック派の画家である。
 
 ヴォーカルも大体半分ずつ位を担当する。彼らに比較出来るグループが見当たらない。ジャンルも難しいけれど、ゴシック~クラシカル・ロック~チェンバー・ミュージック...という様な音のファンの方には気に入って頂けるかもしれない。ニコ(NICO)の世界を想い浮かべることもできるかも。私は稀に生理的に苦手な音楽もあるけれど用語化されたジャンルに偏見を持ちたくはないと常々想う。何故なら、雑音(ノイズ)から音楽は生まれたのだから。ロックにもこの様な独自の世界を追求している人達が実は世界中に存在する。それらの音楽に巡り会う度に喜びを感じてもいる。


【追記】
「ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)について知ってる二、三の事柄」
 ★ヒエロニムス・ボス(ボッシュ)は中世末期の興味深い画家のお一人であり、描き出される地獄の幻想は奇怪で不穏でもある。時代が宗教と死(魔女なども)に支配された、そんな時代を反映させているとも云われる。けれど、最大の謎とされるのはボッシュ自身で、ほとんどこの人物像はわかっていない。1450年~1516年という生涯の大半をネーデルランドのスヘルトーヘンボスという町で過ごされたそうだ。世紀を超え、今も残された作品たちは困惑を伴って私を魅了する。
 
 上の「デッド・カン・ダンス」のアルバムジャケットに使われているものは、有名な『快楽の園』(1480年~1500年頃)の中央パネル画の一部である。この絵はボッシュの晩年の作品で、三連祭壇画の形式で描かれ、この世の快楽を飽くことなく追求した結果、地獄に堕ちる人間の姿を描いている。左翼パネルでエデンの園での堕落の種が撒かれ、中央パネルで肉欲の偽りの快楽として開花させる。そして、右翼パネルでは、地獄の責め苦が描かれているというもの。

『私の愛聴盤 VOL.6』 LES RITA MITSOUKO/MARC&ROBERT 1988年

LES RITA MITSOUKO/MARC AND ROBERT
1988年 VIRGIN FRANCE
1. Hip Kit
2. Smog
3. Mandolino City
4. Petit Train
5. Perfect Eyes
6. Tongue Dance
7. Singing in the Shower
8. Petite Fille Princesse
9. Harpie & Harpo
10. Ailleurs
11. Live in Las Vegas




 フランスにも勿論NewWaveは存在していた。私は70年代末のパンクには間に合わず、所謂ポスト・パンク時代から英国を主として、ヨーロッパのそれらの音に貪欲であった(ニューヨークも)。このレ・リタ・ミツコ(LES RITA MITSOUKO)は大好きで、とりわけ素晴らしきヴォーカリストであるカトリーヌ・ランジェは心の歌姫のお一人でもある。この1988年の3rdアルバムとなる『マーク&ロバート(MARC&ROBERT)』は、彼等のアイドルであるスパークスとの共演作。私はスパークスも大好き!なので、この共演は飛び上がる程に嬉しいものだったし、今でも聴く回数の多いアルバム。

 「Hip Kit」と「Singing in the Shower」と「Live in Las Vegas」の3曲でスパークスと共演している。先ず、アルバムの1曲目である『Hip Kit』の楽曲はレ・リタ・ミツコによるもの。カトリーヌ・ランジェのヴォーカルから始まり、あの!ラッセル・メイルのヴォーカルが"Et le velours ~"とフランス語で歌われる。この曲はデュエットではない。ラストに小さな子供のお声も聞こえてきて可愛い。そして、『Singing in the Shower』である。この曲でやっとカトリーヌ・ランジェとラッセル・メイルの夢のデュエットが聴ける。もう初めて聴いた折の私の心は天にも舞うものであったのだ。この曲はロン&ラッセル兄弟による楽曲で英語曲。スパークスとしてキーボードでクレジットされてもいる。アルバムのラスト曲となる『Live in Las Vegas』もデュエット曲であり、楽曲はやはりロン&ラッセル兄弟によるもので英語曲。スパークスはキーボード参加とある。カッコいい曲である。アルバムのオープニングと真ん中、そしてエンディングにこの3曲が入っている辺りにも、レ・リタ・ミツコのスパークスに対する敬意が込められているように想う。

 そして、アルバムのプロデュースとミックス、ベースとサックスでトニー・ヴィスコンティが参加している。嘗て、レ・リタ・ミツコが影響を受けたアーティストたちが挙げられていた。エディット・ピアフ、スパークス、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップと。フレッド・シシャンの悲しい死、でもカトリーヌはこれからもソロで充分活動されるお方。私はもうレ・リタ・ミツコとボウイの共演の夢が無くなってしまったことは残念だけれど、これからも彼等のアルバムを聴き続けるだろうし、カトリーヌの活動も楽しみなのだ。夫の死の哀しみはどんなだろう!癌であったというのでその闘病時期を共に過ごしているのだし。フレッド・シシャンはあの細い体で癌を患っていても、最期まであのギターを離さなかったのではないだろうか...。

『私の好きな歌・VOL.6』 ALL ABOUT EVE/DECEMBER 1989年



 ベティ・デイヴィス主演の『イヴの総て』を由来とする『ALL ABOUT EVE(オール・アバウト・イヴ)』というグループが1985年にデビューした。ポジティヴ・パンクなるちょっとしたブーム。バウハウスはその元祖、そのまた元祖にはデヴィッド・ボウイと遡る事も可能だと思う(ゴシック・ロック(GOTH)を遡れば)。当時のポジティヴ・パンクなるムーブメントに於いては、シスターズ・オブ・マーシーがダントツ!に好きだった。あの地を這う様なアンドリュー・エルドリッチのヴォーカルは唯一無二なお声だった。そして、そこから派生したのがミッションとゴースト・ダンス。オール・アバウト・イヴは、ミッションのリーダーであるウェイン・ハッセイのプロデュース作品ともあり一躍話題になって行った。X-マル・ドイッチュラントやジーン・ラブズ・ジザベル人脈からなるインディーズ時代のシングルは、荒削りながらも当時の「4AD」のアーティスト達に感じられた様なある種の耽美な世界を漂わせていた。勿論、すんなりと引き込まれてしまった。

 それから、トントンとメジャー・デビュー。1stの『イヴの序曲』も好きだけれど、2ndの『スカーレット・アンド・アザー・ストーリーズ』はさらに好き。それは、ジュリアンヌの存在がさらに全面化し優しいアコースティック感覚、美しい旋律に溶け込むようなジュリアンヌの清楚でしっかりとしたヴォーカルが際立っていると思うから。彼らはブリティッシュ・ロックの正統派的な流れを汲んでいる。プロデュースがポール・サミュエル・スミス(元ヤードバーズ)とあり、ファン層は拡大されたようにも想う。

 私にとって、ジュリアンヌ・リーガンはケイト・ブッシュとミレーヌ・ファルメールの中間に位置する様な存在なのだ。大好きな曲の一つである『DECEMBER』(アルバム『SCARLET AND OTHER STORIES』よりの2ndシングル)が決定的だった(あまりにも個人的な歓び!)。端正な美しい顔立ちを際立たせるかの様な赤い口元。60年代のサイケデリック、英国ならではのトラッド・フォークの芳香、枯葉の似合う妖精、ラファエル前派の絵画のモデルの様なジュリアンヌだと!

 可憐なワンピースやロングスカート姿でギターやタンバリンを持つジュリアンヌはとても自然に映った。その様なスタイルの対極に位置する麗しの女性達も好きだったけれど(例えばマラリアのメンバー達の様な)。ジュリアンヌのお声には毒が無い。私は猛毒を持つような女性ヴォーカルにも惹かれるけれど、この正統さが大切なのだと思う、このグループには。奇を衒う事は何も無い。意外だったのはジュリアンヌの突然のポップなソロ・ユニット:MICE(マイス)の登場だろうか?ちょうど、VELVET MOONをオープンした頃の作品で贔屓目たっぷり!に大推薦していた。ブリット・ポップという括りでも好盤であったと思う。独特の個性的な歌唱法でもなく、決定的な声の個性でも無い。きっと、そこがジュリアンヌの魅力だと思う。優美なサウンド、彼らの音楽を聴いていると19世紀の英国にまで行ける。こんな美しい旋律と共にジュリアンヌのお声が時空を超える。

 80年代に活躍したグループは随分消滅してしまったけれど、オール・アバウト・イヴは健在だ。一時、解散状態だったけれど復活してくれて嬉しい。私の好きな"英国"が詰まったグループであり、その歌姫であるジュリアンヌ・リーガンは憂愁の追憶でもある。

 *上記の綴りは2004年9月5日のものです。

『叫びとささやき』 イングマール・ベルイマン監督 1972年


叫びとささやき/VISKNINGAR OCH ROP
1972年・スウェーデン映画
監督・脚本:イングマール・ベルイマン 撮影:スヴェン・ニクヴィスト 出演:イングリッド・チューリン、ハリエット・アンデルセン(アンデション)、リヴ・ウルマン、カリ・シルヴァン

 久しぶりに『叫びとささやき』を観た。初めて観たイングマール・ベルイマン作品は『ある結婚の風景』だった。でもまだ幼すぎて意味が分からず感動したとも何も感想が言えないのでまた観てみたいと思う。この『叫びとささやき』は20代になってから観たものでとても衝撃を受けた作品だった。何故今、またこの作品を再度観たくなったのかは分からないけれど、再びおののきと慈しむ心の尊さを痛感した。


 屈指のお気に入りの女優様のお一人であるイングリッド・チューリンは長女のカーリン役。ルキノ・ヴィスコンティ作品で初めて知った女優様で一目で好きになった。この作品をここで先ず選んだのはあの言葉を押し殺したささやきと、姉妹間の情念、愛憎、愛の不毛を気高くいながら神経症的なまでに表現出来るお方は他にはいないと思うから。この作品は3姉妹と召使いの女性の4人の女性の心の描写をえぐり出すものだ。


 冒頭の古い大小の時計が映し出されその音に”ハッ!”とする。次女のアングネス(ハリエット・アンデション)の死期が迫っている事や、その家族のこれまでの時を刻んできた証人でもあるのだろうか?とても印象的な冒頭だ。そして、舞台となる「お城」の室内の至る所に「赤」が在る。そして、カメラも「赤」がフェイドインとフェイドアウトを見せる。ベルイマンの製作前の幻想の「赤い部屋に三人の女性がいる。彼女たちのささやきは白い。」というイメージに基づいて製作されていったそうだ。私は世代的にベルイマンの作品はカラーから観る機会となったので、後に遡って白黒作品たちを観ても、どうしてもこの「赤の衝撃」が焼き付いてしまっている。ちなみに、ウディ・アレンはベルイマン・ファンで有名だけれどあの秀作!『インテリア』はこの作品からインスパイアされたと何かで読んだことがあり、「なるほど~!」と思う事が出来る。そう!私がベルイマン好きになったきっかけにはウディ・アレンの存在は欠かせない。


 北欧の白く美しい自然風景の描写、19世紀から20世紀辺りの衣装や家具や装飾品にも見とれてしまうのだけれど、”うっとり”見つめる暇など無いのだ。癌に蝕まれ死期の迫るアングネスの痛みに耐える表情とあの叫び!その悲痛な叫びや嘔吐に姉妹は何も出来ないでいる。ただ一人、召使いの女性アンナ(カリ・シルヴァン)は静かに胸をアグネスの顔にやさしく当てる。まるで母の胸に眠る少女の様にアグネスは落ち着きを取り戻す。この作品にはベルイマン作品には書かせないそれぞれが素晴らしい3人の女優様が共演している。三女のマリーヤ(回想シーンで出てくる美しい母親役の二役)を演じるのはリヴ・ウルマンだ!イングリッド・チューリンとは対称的な個性そのままに役柄も対称的。最も母に愛されていたと姉妹たちは子供の頃から嫉妬していた。美しい母といつも笑い合っていた明るい性格のマリーヤ。そんな彼女もまだ愛に満たされてはいなかったのだけれど。


 作品について色々書くととても長くなってしまう。ここに登場する4人の女性はどなたも素晴らしい存在感と演技力で息をのむ。ぼんやりと眺める余裕すら与えてはくれないヒリヒリした心理描写と美しい陰影で一気に見終えてしまうのだから。中でも絶対的に忘れられないシーンが再度観て私の胸に突き刺さった。それはイングリッド・チューリンならではの名場面!年老いた夫との倦怠的な愛にうんざりしていた。そんな気持ちと久しぶりに戻ってきた生家での滞在中での姉妹間の心に秘め続けてきた愛憎がピークに達したのだろうか?夫婦で晩食中、ワイングラスを倒してしまって割れてしまう。その割れた破片を一つだけ寝室に持ち帰る。「つまらない嘘よ!」と自分の性器にそのガラスの破片を突き刺すのだ!その痛みを堪えながらもそのある屈折した恍惚感の様な表情でベッドで夫を迎える。品の良い綺麗な白いネグリジェは出血で真っ赤...その血を手に取り自らの顔に付けて笑う。ただ、見ているだけの夫...こんなシーンの意味は初めて観た時は理解出来なかったのだ。そして、あの夫に向ける冷笑の毒々しい美しさはイングリッド・チューリンにしか出来ないと思えてならない。 壮絶なシーンである。ハリエット・アンデルセンの苦痛のシーンも凄まじいけれど、全編に「赤」を必要としたベルイマン。当然、赤には血というイメージも在るだろう。しかし、グロテスクさは微塵も感じられないのだ。人間の心の奥底に潜んだ情念や怨念の部分を映し出しながら、その心の迷いや闘いの果てには光が待っているのだから。それを決定的に印象付けて終わるラスト・シーン。涙すら忘れてしまっていたのに、とても穏やかな涙が溢れ出すのだった。優しい召使いのマリーヤは毎朝、亡き子の写真を前に神に跪き祈る。そのマリーヤがアグネスの形見として大切にレースに刳るんでしまっていた日記に記された言葉が流れた後のある活字。


「こうして、ささやきも叫びも沈黙に帰した。」と。


 ある強迫感や心的圧迫による心の恐怖、孤独や苦痛ばかりではなく、輝ける穏やかな幸せもあることを教えてくれるのだ。それが人生なのだと。だからこそ、闇の持つ意味があると思えるのである。


*上記の綴りは2004年・冬のものです。

『ラ・パロマ』 ダニエル・シュミット監督 1974年


ラ・パロマ/LA PALOMA
1974年・スイス/フランス合作映画
監督・脚本:ダニエル・シュミット 撮影:レナート・ベルタ 音楽:ゴットフリード・ヒュンベルグ 出演:イングリット・カーフェン、ペーター・カーン、ビュル・オジェ、ペーター・シャテル

 初めて観たのは今から10数年前。同じ頃『今宵かぎりは』も観る機会が有り、それ以来このイングリット・カーフェン(INGRID CAVEN)はお気に入りの女優様なのだ。そして、監督のダニエル・シュミットの魔法の様な映像にクラクラしファンになった。私の好きな題材が各所に散りばめられていて宝石の如く暗闇に輝く。カーフェンの特異な美貌はただ美人なだけでは無く耽美的、かつ退廃的なものが備わっている。この映画の中では特に目の演技が印象的だ。妖艶さも毒気も過剰では無い。でも時に冷淡な眼差しを向ける。痩身で美しい背中が広く開いたドレスを纏い歌うシーン。その歌は「上海」だ。黒と白、どちらもお似合い。その綺麗なシルエットでゆっくりと階段を下りるシーンなどウットリする。優雅で甘美という言葉が最もピッタリな女優様だと思っている。 



 この『ラ・パロマ』は少し『椿姫』を想起させるものがある。夫イジドール(ペーター・カーン)の一生涯の忠誠を誓った理解を越えた大きな愛。ラ・パロマ(イングリット・カーフェン)は夫の友人に恋をする。彼に一緒に連れていって!と願うがそれは出来ない事だった。その後、彼女は部屋に閉じ籠もりメイドのアンナとしか口をきかなくなる。そして、毒薬学の本を基に何やら調合して独自の美顔薬を作る事にだけ興味を示す様に。しかし、元々”あと2週間の命”と宣告されていた娼館の落ちぶれたスターだった彼女を、イジドールの大きな愛の力で回復したのだった。愛の忠誠を誓ったのに、信じていたのに叶えられなかった事で彼女は復讐的な計画を始める。それは死を持って。瀕死の床で真っ白なドレスに真っ黒な十字架を持つヴィオラ(ラ・パロマ)が最後の言葉、約束を誓わせるシーン。死後、3年後に遺体を納骨堂に移してほしいとの遺言。約束通り3年後にその棺を掘り出し蓋を開けた瞬間!このシーンがとても大好きだ。生きていた時と全く変わらない姿だったのだ(そんな美顔薬が欲しい)。しかし、その変わらぬ美しい妻の遺言を実行するにはその身体を切り裂かねばならない...これ程までに怖い、残酷な復讐があるだろうか。純粋に愛を貫いて来たイジドールはその約束を果たす為に泣きながら途中からは狂気に至ったのか?!高らかな笑い声を上げながら。その声に合わせてヴィオラの笑う声も。相反する笑い声だ。美によって復讐される瞬間。ホラーでは無い私の好きなゴシック感覚がこの辺りによく表れている。 


 後、忘れてはならない名場面というのは二人が結婚式の後アルプスの山上でデュエットするシーン。監督がオペラ好きだと言うこともあり、こういうセンスは抜群だと思う。数少ない二人が幸せな面持ちのシーンだ。虚構の愛はいずれは破綻する。また、虚構だからこそ描けるものもあるのでは?この映画を観ていると夢の世界が映像化(視覚化)されたのだ!と思ってしまう。最初の方に「空想の力」と活字が現れる。それはある啓示の様でもある。時折現れるその象徴の様な天女というか女神の様な存在(男性とも女性とも思える)は花のミューズの様だ。そう!この映画は室内は極めて暗く、その陰影は微睡む程美しい。そして薔薇などのお花の鮮やかな色彩が、貴族のお屋敷の家具や装飾品、衣装達と共にあまりにも綺麗に映えるのだ。やはり、シュミットは"映像の魔術師"である。そして、それらの美しいカメラワークの担当者であるレナート・ベルタ。彼の手腕はアラン・タネール、ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、エリック・ロメール等の作品でも堪能出来る。私の最も好きな撮影才人でもある。そして、この「ラ・パロマ」はかのルキノ・ヴィスコンティも大賛辞を贈ったそうだ。これまた私には悦ばしい事である。 


 イングリット・カーフェンの歌も好き。カーフェンは嘗てダニエル・シュミットとライナー・ヴェルナー・ファスビンダーと共に劇団の様なものを設立した。そして、ファスビンダーと結婚(3年程のよう)。この二人の監督の作品に数本出演されている。しかし、どちらもなかなか安易に観る事が出来ない現状。タイプはかなり違うけれど、ファスビンダー作品というとハンナ・シグラも欠かせない。そして、もう一つ、この『ラ・パロマ』が好きな理由はイジドールの母親役に扮するビュル・オジェが出ている事。私の好きな女優様達は皆それぞれ誰とも比較出来ない魅力が有る人ばかり。 


 「美しく穀然と、時には仮面の様だった。」とイジドールがヴィオラの美を幸福そうに友人のラウルに語る。正しく、カーフェンの美はこの台詞通り。そして、「あなたにいつまでも思い出を。」とあの花の女神(フローラ)が告げ幕は下りる。耽美的でノスタルジックな余韻を残して。イマージュの連鎖の成せる技。なので決して陰鬱な後味では無い。逆にとても気分が良いのだ、私には。気怠く眠くなる方も居られるだろうがそこも魅力。それにしても、このラ・パロマ役はカーフェンで無ければこれ程までの艶やかさを映像に残すことは出来なかったと思う。監督のキャスティングも見事なものである。


 *上記の綴りは2004年・7月に『BRIGITTE』内にて掲載したものです。

『バリー・リンドン』 スタンリー・キューブリック監督 1975年


バリー・リンドン/BARRY LYNDON
1975年・イギリス映画
監督・脚本:スタンリー・キューブリック 原作:ウィリアム・メイクピース・サッカレー 撮影:ジョン・オルコット 衣装デザイン:ミレーナ・カノネロ、ウルラ=ブリット・ショダールンド 音楽:レナード・ローゼンマン 出演:ライアン・オニール、マリサ・ベレンソン、パトリック・マギー、スティーヴン・バーコフ、ハーディ・クリューガー、マーレイ・メルヴィン、デビッド・モーレイ


 スタンリー・キューブリック監督の1975年映画『バリー・リンドン』はキューブリック作品で一等好きなもの。”少女愛惜”なら『ロリータ』というべきかも知れないけれど、どのキューブリック名作よりも私は『バリー・リンドン』が大好きなのだ。3時間を超える大作ながらまったく長く感じたことはない。好きな点は先ず映像美。レディ・リンドン役のマリサ・ベレンソン(このお方もルキノ・ヴィスコンティ映画で知ったお方)が纏う華麗なるお衣装やヘアスタイル(マリサ・ベレンソンは鬘ではなくご自分の髪だそうだ!)、壮大なる歴史ロマン...そして、何度観ても美少年ブライアン・パトリック・リンドン(デヴィッド・モーレイ:DAVID MORLEY)の可愛らしさ。こんなに可愛い少年が落馬により幼くして死んでしまう場面の前後は、もうずっと泣いてしまう。容姿だけではなく、お声があまりにも胸に痛く響く。今も浮かぶ”パパ、パパ..”という愛らしいお声や、死に際の”パパとママは喧嘩をしないで。愛し合うって約束して...そうしたら僕たちは天国で会えるよ。”...と語る場面が浮かびうるうるする。少年とも少女とも区別のつかぬ程の無性なる声!


 この二部構成の大作の魅力、好きな箇所を書き出すととても長くなるので、とりあえず大まかに。サッカレーのピカレスク小説『虚栄の市』をキューブリックが脚色したもので、撮影はアイルランド。素晴らしい音楽はチーフタンズがアイルランドの民謡を元に作ったものや、クラシック(ヘンデル、シューベルト、バッハ等)の楽曲たち。圧倒的な映像美はキューブリック特有の室内自然色を始め、撮影、コスチューム(徹底されている!)、ロケーション、俳優、スタッフ...と見事なまでに文学と映画と音楽と美術が結晶化されたかのように思える。ライアン・オニール扮するバリー・リンドンの野心。権力と財力と貴族の称号を得るために下層社会から這い上がってくる。第一部ではその様子が戦争の悲劇やロマンスと共に描かれている。そして、第二部である!ここからはバリー・リンドンの没落。美貌の貴婦人レディ・リンドンと恋に落ち、華麗なる一大資産に囲まれて暮らす身となる。レディ・リンドンとの間に生まれた愛息ブライアン(デヴィッド・モーレイ)をとても愛し可愛がっていた。けれど、お誕生日のプレゼントの子馬からブライアンは落下して死に至る。その頃のバリーは浪費と浮気と放蕩三昧。レディ・リンドンはブライアンの死後、鬱積していたものが心身を一気に破壊し始め狂乱状態で服毒自殺を図る。レディ・リンドンの前夫との間の息子ブリンドン卿は爵位継承者である。彼とバリーがお互いに憎み合う中で、妻であり母であるレディ・リンドンのお気持ちに私は感情移入してしまう。大切なものは失ってからその尊さを知るものだと感じるけれど、バリーは愛する息子の死にとても傷つき悲しむ。遂にはレディ・リンドンとの別離。母とアイルランドへと帰ってゆく。然程、興味のなかったライアン・オニールながら、このバリー・リンドン役はとても好きで見方が少し変わったようにも思う。

スタンリー・キューブリック
ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2008-09-10

『麗人図鑑 VOL.31』 ケイト・ブランシェット:CATE BLANCHETT

今最もお美しい演技派女優さま!と贔屓にさせて頂いているケイト・ブランシェット。この麗人図鑑にはやはり「エリザベス」で掲載させて頂きたいと想う。凛々しく神々しいお姿に涙いたしました☆

『麗人図鑑 VOL.30』 シャルル・ボワイエ:CHARLES BOYER

1930年代から70年代と多くの名作に出演されておられたお方。フランスの男優さまながらハリウッド・スターであった。英国人の奥様の死後、二日後に自らの命を絶たれてしまった。目と眉の動きや気品溢れる佇まいが好きなのです☆

『麗人図鑑 VOL.29』 オードリー・ヘプバーン:AUDREY HEPBURN

永遠の銀幕の妖精☆オードリーは今なお、映画雑誌の人気ランキングに登場するお方。世代を超えて、いつまでも愛され続けている魅力は色褪せないもの♪素敵なオードリー☆

『麗人図鑑 VOL.28』 ダーク・ボガード:DIRK BOGARDE

慎ましやかで優雅な気品。ストイックな美学が静かに伝わってくるお方。英国の格調高きダンディズムの系譜を想うのです。私にとって『愛の嵐』の出会いは格別なもの。そして『ベニスに死す』の内面演技の素晴らしさに感涙するのでした☆

『麗人図鑑 VOL.27』 ダリダ:DALIDA

妖艶な容姿とお声。ダリダはイタリア移民のエジプトはカイロ育ち。その発音も魅力♪”許してください。人生は辛すぎる。”と1987年自らの命を絶ってしまったお方。モンマルトルにはダリダ広場もあり彫像も存在する。数多くの名曲と華麗なステージやドレスの裏には悲劇女優のようなドラマを生きたお方に思うのです。

『麗人図鑑 VOL.26』 ティルダ・スウィントン:TILDA SWINTON

故デレク・ジャーマンのミューズとしての作品群、名作『オルランド』他、主役、脇役どんな役でも魅入ってしまう美しきティルダ♪『ナルニア国物語』の白い魔女役も実に華麗でハマリ役なのでした☆高貴な中性的な魅力はナチュラル。とても素敵なお方で大好きなのです★

『麗人図鑑 VOL.25』 ジャン・コクトー:JEAN COCTEAU 1949年

繊細な指先を持つコクトーは作家・詩人・画家・映像監督・脚本家・批評家ほか多くの肩書きを並べることが可能な偉大なるお方。夭折の作家レイモン・ラディゲや多くの芸術家たちとの交流。大ファンでもあり親友でもあった世紀の大歌手エディット・ピアフの訃報を知り、その同じ日の4時間後にコクトーも死去された。1963年10月11日、この日はフランスの劇的な悲嘆の一日となったことだろう★

『麗人図鑑 VOL.24』 ロミー・シュナイダー:ROMY SCHNEIDER 1955年

ウィーン生まれでフランスを中心に国際的に活躍しておられた美しきロミー。生まれ持った貴族的な雰囲気と瞳。お姫様のようなお若い時期から60年代以降、演技派として名画たちの中でそのお姿にお会いできる。しかし、43歳という若さでの死を想うと惜しまれてならない。この瞳はロミーだけのヨーロッパの黄昏★

『麗人図鑑 VOL.23』 ジェラール・フィリップ:GERARD PHILIPE 1948年

1959年に36歳の若さでこの世を去った美しき貴公子。ファンファンとの愛称で親しまれ、フランス映画界最高の美男子。60年代以降の作品が無いことが残念だけれど、10数年の中で残された作品たち。どんな役でも品格がありお顔のみならず立ち姿の美しさにうっとり♪お写真よりも動いているお姿の方がずっと美しさがよく伝わってくるお方★

『麗人図鑑 VOL.22』 ジャン・マレー:JEAN MARAIS 1949年

ジャン・コクトーの映像と共にジャン・マレーのギリシャ彫刻の様な容姿は永遠なもの。生と死の世界を虚ろに行き来するギリシャ神話のオルフェウス。ヴィスコンティと共に生きていた頃のヘルムート・バーガー同様、コクトーと共に生きていた頃のジャン・マレーがやっぱり悲しい程に美しい!

『麗人図鑑 VOL.21』 アニー・レノックス : ANNIE LENNOX 1992年

このお方も「麗人」とお呼びするに相応しいお方。ユーリズミックスのボーカリスト。「女性版ボウイになりたい。」と語っていたアニー・レノックス嘗てのビデオクリップでの美麗な男装姿は今も焼き付いている。歌も上手だしお顔立ちも綺麗なお方。1stソロ・アルバム「DIVA」より★

『麗人図鑑 VOL.20』 ジャンヌ・モロー:JEANNE MOREAU 1962年

今も現役のフランスを代表する大女優ジャンヌ・モロー 。60年代作品は全てと言っていい程好き。中でも男性を翻弄させ破滅させる悪女を演じさせるとたまらない魅力。 知的でクール!30代半ばの女盛りの頃の「エヴァの匂い(EVA) 」より★

『麗人図鑑 VOL.19』 サイモン・ターナー:SIMON TURNER 1989年

このお写真はとても贔屓にしていたelレーベル時代のKING OF LUXEMBOURG名義のものより。10代のアイドル時代を経て、今もなお様々なユニークなプロジェクトでアンダーグラウンド・ポップを作り続けているお方。デレク・ジャーマンの映画音楽も多数手掛けておられた。来日時に2枚のレコードにサインを頂いた。その1枚は映画も音楽も大好きな「カラヴァッジオ」★

『麗人図鑑 VOL.18』 マレーネ・ディートリッヒ:MARLENE DIETRICHE 1930年

麗しい銀幕の女優様達との出会いを辿ると、男装姿に一目惚れしたこのお方に行き着く気がする。母が絶対的な讃美の眼差しでディートリヒを語る姿が思い出される。世代を越えて私も今もなお魅了され続ける★

『麗人図鑑 VOL.17』 シモーヌ深雪:FUKAYUKI SIMONE 1999年

関西を代表するシャンソン歌手&ドラァグクイーンのシモーヌ様。このお写真は当店VELVET MOONの10周年イベント時に販売ブースで買わせて頂いたポストカードより。妖艶で麗しいお姿にため息♪アルバム「血と薔薇」も愛聴盤なのです★

『麗人図鑑 VOL.16』 ブリジット・フォンテーヌ:BRIGITTE FONTAINE 1999年

此処「BRIGITTE」の超主軸とさせて頂いているお方。とても可愛くお年を召され、あのお声もオーラも今なお健在なり!前衛もシャンソンもロックも...全てを軽く飛び越えてしまう。唯一無二なフォンテーヌ様!エターナル★

『麗人図鑑 VOL.15』 マーク・アーモンド:MARC ALMOND 1995年

ソフト・セルの「NON-STOP EROTIC CABARET」を聴きながら宿題をしていた頃から年 月は随分経過。マークのお声には甘い蜜を伴う魔力が潜む。永遠の妖しくロマンティッ クなファンタスティック・スター★

『麗人図鑑 VOL.14』 ダニエル・ダックス:DANIELLE DAX 1987年

私の80年代の美しき頽廃美学そのもの!というような存在だったお方。全てがアートというのだろうか?多様な実験精神と色彩豊かな無国籍なポップ感覚をも併せ持つ。先ず音を聴いてから美貌に驚き高速に耽溺して行った★

『麗人図鑑 VOL.13』 ピーター・マーフィー:PETER MURPHY 1988年

私の80年代の黒い薔薇。BAUHAUSというバンドのゴシック美学に多大なる影響を受けたと思う。暗闇に幻想的かつ冷たく舞踏する。性別を超えたある何かの象徴の様な存在だった。このお写真はソロ来日時のパンフレットより★

『麗人図鑑 VOL.12』 デルフィーヌ・セイリグ:DELPHINE SEYRIG 1960年

カラー世代の私が初めて自ら選んで「美しい!」と魅入ったモノクロ作品。アラン・レネの「去年マリエンバートで」。映像と音楽と共に硬質でロマネスクなシルエットはまるで夢の様にクラクラするのだった★

『麗人図鑑 VOL.11』 美輪明宏:AKIHIRO MIWA 1968年

恐れ多いのですが日本一の麗人というと美輪様な私。美輪様のお歌やお言葉にどれだけ心癒され励まされてきた事か!このお写真は大切にしている「丸山明宏」時代のレコードより。身が引き締まる様です★

『麗人図鑑 VOL.10』 ミレーヌ・ファルメール:MYLENE FARMER 1988年

美しきミレーヌ!「白昼夢」・・・私の夢の世界の麗人が現前した瞬間を忘れない。どこか少年の様なこの頃のミレーヌは正しく神話から抜け出してきたお方だった。夢を信じていいのだと希望を与えて下さった、最後の私のカリスマ★

『麗人図鑑 VOL.9』 エドガー:EDGAR 1888年~1889年

私の原点は少女漫画。永遠の時を生きるバンパネラ。蒼い目の捲き毛の少年。薔薇の似合うこの美しい少年は時と共に止まったまま、私の心に突き刺さったまま生き続ける。萩尾望都さまのポー・シリーズ「ランプトンは語る」より★

『麗人図鑑 VOL.8』 グレタ・ガルボ:GRETA GARBO 1924年

「嘆賞すべき、オブジェの顔である。」と言ったのはロマン・バルト。「ガルボの顔は観念である。」と言ったのはシモーヌ・ド・ボーヴォワール。生き続ける神秘。エリザベートを演じる19歳のグレタ・ガルボ★

『麗人図鑑 VOL.7』 アラン・ドロン:ALAIN DELON 1960年

25歳のアラン・ドロン。「太陽がいっぱい」と同年作ながら対称的な役を演じた。優しいロッコ★この哀しい目をあまりにも美しく愛を込めて撮った、ネオ・レアリズモ末 期のルキノ・ヴィスコンティ名画「若者のすべて」より。

『麗人図鑑 VOL.6』 バルバラ:BARBARA 1964年

正しく!麗人とお呼びするに相応しいお方。独特のアイメイク、細長い首に黒のタートルシャツ、そしてシガレットを持つ指。あまりにもキマリ過ぎ!孤高の美、存在が美★大好きな曲のレコード・ジャケットより。

『麗人図鑑 VOL.5』 ヘルムート・バーガー:HELMUT BERGER 1970年

"魔性の美男子"というとこのお方が最高峰!どこか冷たい翳りの漂う浮世離れした風貌。マルティンともルートヴィヒ2世とも違う、このアラン役をブラウン管を通して観たときのあの衝撃は今も忘れられない★

『麗人図鑑 VOL.4』 シャーロット・ランプリング:CHARLOTTE RAMPLING 1974年

小学6年生の時に「愛の嵐」を隠れるようにTVで観て以来、ずっとずっと大好きな初恋の女優であるシャーロット・ランプリング様。このお写真は大好きなお友達から完璧な状態で頂いた「蘭の肉体」のチラシより。嗚呼!心臓に悪いのだけれど

『麗人図鑑 VOL.3』 ビヨルン・アンドレセン:BJORN ANDRESEN 1971年

スウェーデンと言えばこのビョルン・アンドレセンな私。当時16才の美少年は映画の中で永遠化した。セーラー姿も好きだけれどこの凛々しいお姿はさらに好き!私の敬愛するルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」より。